福島地方裁判所 昭和27年(行)3号 判決
原告 江井勝身 外八名
被告 福島県農業委員会
一、主 文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
二、事 実
原告等は「被告が訴外水谷智造の訴願について昭和二十七年一月十四日附でした裁決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、別紙目録記載の農地はもと水谷智造の所有であつたが訴外大甕村農地委員会(以下村農委という)は自作農創設特別措置法(以下自創法という)第六条の二の請求に基いて右農地が同法第三条第一項第一号の規定に該当する不在地主所有の小作地であるとして同農地につき買収計画を立てその旨を公告した。右智造は村農委に対して右買収計画につき異議を申し立てたのであるが、これを棄却されたので、更に被告に訴願したところ、被告は昭和二十七年一月十四日附で右訴願を容認する旨の裁決をし、同裁決書は同年二月七日智造に送達され、原告等はいずれも同年二月八日以降に至り右裁決の事実を知つた。しかし被告の右裁決には次のように事実誤認に基く違法がある。すなわち、福島県相馬郡大甕村は智造の本籍地で智造はもと同村に居住していたが、福島県巡査を拝命して以来永く大甕村を離れ、同職務を辞して後昭和十七年智造が東京都にある長男英一方に在住当時空襲の激化するに伴い一時その難を避けるため大甕村に疎開し原告田中勝身方居宅一室を借り受けて同所を一時の住居と定めた。ところが昭和二十年四月下旬田中が復員したため田中方を完全に引き払いじ後隣村太田村にある義弟水谷秀夫方隠居家を生活の本拠とする目的でみずから進んで右秀夫方に転住した。次いで智造は秀夫が自己の所有農地を買収されることを恐れて帰村したため、昭和二十一年七月余儀なく同所を立ちのき大甕村宝玉源一方一室を借り受けて右秀夫方から再び大甕村に転居した。もつとも智造は別紙物件目録記載の農地のほかに大甕村に農地約四畝歩を所有しこれを耕作していたが、たかだか家庭菜園の程度を出ないものであり、また大甕村に住居を有するものとして諸物資の配給を受け、税金(村民税を除く。)を賦課されていたが、右は智造が右太田村転住に伴う所要手続をかい怠していたために変更を受けなかつたに止まる。かようなわけであるから前示農地買収の基準時である昭和二十年十一月二十三日当時における智造の住所は別紙目録記載の農地の所在地である大甕村にはなかつたのである。原告等はいずれも別紙目録記載の農地の小作農であるが、これを各農地ごとについて述べれば別紙目録記載の農地のうち(一)の農地は原告江井チイ、(二)、(三)の農地は原告田中勝身、(四)、(五)の農地は原告宮本忠助、(六)ないし(八)、及び(一一)ないし(一三)の農地は原告田中巳作、(九)の農地は原告今野一郎、(一〇)の農地は原告佐野清明、(一四)、(一五)の農地は原告中野満、(一六)ないし(一八)の農地は原告江井又治郎がそれぞれ耕作している。以上のとおりであつて村農委が別紙目録記載の農地を昭和二十年十一月二十三日現在における不在地主水谷智造の所有農地として立てた買収計画は正当であるにもかゝわらず同日現在智造が前示大甕村に住所を有するものとして智造の訴願を容認した被告の前示裁決は違法であるから、その取消を求めるため本訴請求に及んだと述べた(証拠省略)。
被告は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、原告等の主張事実中、別紙目録記載の農地がもと水谷智造の所有であり、原告等が同農地の小作農であること村農委が自創法第六条の二の規定による請求に基き右農地を不在地主水谷智造の所有農地として同農地につき買収計画を立てて、その旨を公告したこと、これに関する異議、訴願の経緯が原告等主張のとおりであること、被告が昭和二十七年一月十四日附で原告等主張のような裁決をしたこと、智造が従前東京都に居住していたが昭和十七年本籍地である大甕村に転住し、その当時原告田中勝身方居宅一室に間借りしたこと、昭和二十年に至り田中が復員したので右大甕村に隣接する太田村にある義弟水谷秀夫方一室を借り受け同所に転住したことはいずれもこれを認めるがその余の事実を争う。智造の住所は昭和二十年十一月二十三日当時大甕村大字江井字仁坂百八十一番地若しくは少くとも同村内にあつたものである。すなわち智造は離村していたものの大甕村に帰村し帰農することが本来の念願であつたのであり、身も老齢となつたことゆえ右の念願を成就するため昭和十七年四月帰郷したのである。とはいえ、同村大字江井字仁坂百八十一番地にあつた居宅は先代当時取りこわされていたので原告田中勝身方居宅一室を借り受け、同所に身を落ち着けるとともに、他方右居宅跡に家屋の再築を志してその具現に努め昭和十九年同村内の者から家屋を買い受け、次に福島県知事の許可を受けて昭和二十年四月三十日右家屋を解体して右居宅跡附近まで運搬した。しかし当時これが築造に必要な釘等の金物類の入手難、人手不足等の障害のため焦慮しながらも右田中方での間借生活を続けるほか方途がなく、とかくするうち田中が復員し退去を求められて前示水谷秀夫方に移住したのである。従つて秀夫方での間借も右家屋築造に至るまでの雨露をしのげば足りるものとしてであるから同所の居住は智造にとつて仮りの住居にほかならないものであり決して同所が生活の本拠であつたのではない。以上の次第であるから智造の住所は昭和二十年十一月二十三日当時別紙目録記載の農地の所在地である大甕村にあり、智造は諸物資の配給を大甕村で受領し、部落との交際も大甕村でしていたのであつて、これ等の事実も住所地が大甕村であることを裏付けるものである。従つて被告の前示裁決は正当で違法の点は少しもないと述べた(立証省略)。
三、理 由
別紙物件目録記載の農地が水造智造の所有であること、原告等がその小作農であること、村農委が右農地につき自創法第六条の二の規定による請求に基いて右智造が不在地主であるとして買収計画を立てその旨を公告したこと、これに対して智造が村農委に異議を申し立てたが、棄却されたので、更に被告に訴願したところ、昭和二十七年一月十四日附で右訴願を容認する旨の裁決をしたことは当事者間に争がなく、右裁決書が智造に送達されたのは同年二月七日、原告等が同裁決があつた旨の事実を知つたのは同月八日以後であることは当事者弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。
それで次に右買収計画の基準時である昭和二十年十一月二十三日現在における智造の住所がどこにあつたかの点について考えるに、智造が昭和十七年に至りそれまで居住していた東京都から本籍地である右農地所在地の大甕村に帰郷し、当時原告田中勝身方一室を借り受けて間借生活を始めたこと、昭和二十年に至り右田中が復員したので大甕村の隣村である太田村字高にある義弟水谷秀夫方に転住したが約一ケ年の経過後再び大甕村に帰来したことは当事者間に争がない。しかし成立に争のない乙第六号証、第十三号証、第十四号証に証人山田巳之治、水谷孟夫の各証言を総合すると、智造は二十七歳ごろ警察官に任官して以来、大甕村江井部落を離れたが、その所有する農地、山林等は同村仁坂某に管理せしめておき、折にふれ墓参等の所用のため右部落に帰郷することがあつたこと、退官に伴い恩給、小作料等によつて余生を養うため昭和十七年に至り帰村したのであつて、いわゆる疎開ではないこと、帰村後原告田中勝身方一室で間借生活を営むうち、昭和二十年復員した田中から家の狭いことを理由に立ちのきを迫られたので移転先としてとりあえず義弟にあたる水谷秀夫方隠居家を借り受けたこと、智造は警察官として在官中、大甕村江井部落にあつた所有家屋を他に売却したが、売却後取りこわされて滅失したので、帰村後その再築を思い立ち、間口一間半、奥行三間下屋附古家を買い入れ、昭和二十年四月二十日附で福島県知事の許可を得てこれを解体した上右百八十七番地附近まで運搬し、且つまた旧所有家屋所在跡の地ならしをして、自己住宅の建築の準備にかかつたが、当時資材、労力を得ることができなかつたので、建築をすることができなかつたこと、右秀夫方に居住中大甕村にある自己所有農地約一反三畝歩の耕作にかよつていたこと及び太田村に寄留する旨の届出をしたことがなく、冠婚葬祭等の部落民との交際はすべて大甕村でこれをし、太田村でのこれらの交際を持たなかつたことが認められる。証人大越留五郎、村松保、原告本人中野満の各供述中右認定に反する部分は措信しない。更に智造は、太田村在住期間中も大甕村から、諸物資の配給を受け、村民税を除いたその他の税金を賦課されていたことは当事者間に争のないところである。
そして居住の場所は人の生活の本拠がいずれの地にあるかを認めしめる一の要素であるが、これが存在しないからといつて、直ちに生活の本拠がその地にないと速断すべきではなく、継続して定住する意思の実現されたものというべき外在的な事実が存在するかどうかにより生活の本拠すなわち住所の存否を決定すべきである。前示認定事実に基いて考えれば、智造はその本籍地で宅地や農地のある大甕村に定住するつもりで帰村し、一時田中方に身を落ちつけ、自分の旧屋敷跡に住宅を建てようと準備していたのであるから、同人が継続して大甕村に定住する意思であつたことは明らかであり、その準備行為として建築資材を運搬し、旧屋敷跡の地ならしをした事実大甕村における農地の耕作、冠婚葬祭等の部落交際、諸物資の受配等はいずれも智造の右の意思に起因し若しくはその結果として形造られた事実と認めるのが相当であるから、前示基準時における同人の住所は大甕村にあつたといわなければならない。もつとも成立に争のない甲第二、三号証によれば智造に対する昭和二十年度村民税は太田村において賦課、徴収され、大甕村でされていないことが認められるが、成立に争のない乙第五号証によれば同年度の県税並びに村税の地租附加税、県税の都市計画税は大甕村で徴収されていることが認められるのであり、また成立に争のない甲第五、六号証によれば智造は昭和二十年九月十五日現在による大甕村衆議院議員選挙人名簿、昭和二十一年九月一日現在による大甕村農地委員会選挙人名簿のいずれにも登載されていないことが認められるが、他方成立に争のない乙第七号証、第十一号証によれば同人は昭和二十年度同二十一年度の太田村衆議院議員選挙人名簿にも登載されていなかつたのであり、昭和二十一年三月八日施行の大甕村農業会理事選挙に選挙権を有していたことが認められるのであるから、地方税の賦課、徴収及び選挙権の存否等の公的生活関係においては智造の住所に関する取扱が区々であり、右昭和二十年度における大甕村村民税、昭和二十年九月十五日現在による大甕村衆議院議員選挙人名簿、昭和二十一年九月一日現在による大甕村農地委員会選挙人名簿等の関係は必ずしも智造がその当時大甕村に住所を有していなかつたものと認定された結果によるものでないことが推認される。
以上説明のとおり被告の前示裁決は違法の点がないから原告の本訴請求を失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤規矩三 西川正世 間中彦次)
(目録省略)